クボタ ✖ 藤城清治美術館 スペシャル対談
クボタはかり事業100周年の記念ビジュアルの制作依頼をきっかけに、スペシャル対談が実現いたしました。
藤城清治さんの制作にかける思いについてお話を伺いながら、これからのクボタとはかり事業はどうあるべきかを考えていきます。
株式会社クボタ 代表取締役社長
北尾 裕一
1956年兵庫県生まれ。79年久保田鉄工(現クボタ)に入社。
一貫してトラクタの開発畑を歩み、2014年取締役常務執行役員、15年取締役専務執行役員 機械ドメイン担当を経て、19年代表取締役副社長執行役員に昇格し、機械事業本部長、イノベーションセンター所長に就任。クボタ創業130周年であった20年1月から現職。藤城先生の影絵作品が描かれたカレンダーを、自宅と本社内の執務室に飾っている。
日本を代表する影絵作家
藤城 清治
1924年東京生まれ。12歳の頃から水彩画・エッチング・油絵の指導を受け、大学時代に人形劇と影絵を知り、劇団「ジュヌ・パントル」(後年、「木馬座」と改称)を結成。等身大ぬいぐるみの人形劇を創案・開発し、「ヘンゼルとグレーテル」や「ピーターパン」を上演。TV番組「木馬座アワー」を自主提供し、自身が生み出したキャラクター「ケロヨン」は爆発的人気を呼び、日本武道館でイベントを開催するほどであった。1972年に「木馬座」を解散してからは、影絵主体の活動に専念。魅力溢れる影絵作品は国内外で高く評価され、紫綬褒章や勲四等旭日小授賞を受賞されている。
株式会社クボタ 精密機器事業ユニット長
吹原 智宏
1990年 クボタ入社以来、人事部門、マーケティング部門等を経験し2022年から現職。学生の頃に藤城先生の作品である「銀河鉄道の夜」に出会ってから全国の展示会に足しげく通うほど藤城先生の大ファン。
藤城清治美術館館長
藤城 亜季
藤城清治の娘。2013年の開館時から現職。東京と那須を行き来しながら、父・清治の制作サポートを続ける。
2024年に「クボタはかり事業100周年」を迎えるにあたり、事業の社会貢献を表象するシンボルの創作を検討することになった際、はかり事業と同年(1924年)に生誕された影絵作家の藤城清治先生に制作していただくこと以外は考えられませんでした。
私たちはかり事業は、この100周年の節目を、長年の歴史で築き上げた「つながり」を大切に「感謝」の気持ちを伝え、新たなる100年の「夢」を追い求めていくための機会として捉えています。そうした想いを、これまで影絵を通じて多くの「心のつながり」を育んでこられた藤城先生の作品にあふれる「夢」や「光」。そして、長年にわたり創作活動に取り組み、さらに近年、美術館の設立など精力的に活動されている藤城先生にお力添えいただくことでカタチにしたいと考えたのです。
そんな弊社からの依頼に藤城清治美術館の館長・藤城亜季さんが応えてくださり、その詳細を説明する機会を設けてくださいました。伺ったのは洗足駅にある「ラビーカフェ」。ここは、藤城先生プロデュースのカフェで、作品展示に加えてオリジナルグッズも販売されており、ファンの方も集う「憩いと集いの場所」になっています。訪問当日には、藤城先生ご自身もご同席くださいました。これには訪問者一同、驚きと感動のあまりしばらくの間声が出ませんでした。
気持ちを落ち着かせてから、クボタの会社紹介とはかり事業100周年にかける想い、そして先生への依頼内容についてお話したのですが、そのすべてに熱心に耳を傾けてくださり、先生ご自身の生い立ちから制作にかける想いを熱く語ってくださいました。
中でも「ボクは影絵をつくっているわけではない。頼まれた仕事も、それを深く理解して作品にすることにより、影絵から彷彿されるように作り出しているんだ。」という先生の言葉が心に深く刺さりました。
そして、次の訪問の機会もいただいた私たちは、より「クボタのはかり」についてご理解いただくべく、カフェに台はかりの実機を持ち込み、実演を行いながら、いかにはかりが社会基盤を支える重要な役割を担う製品なのかを丁寧にお話しました。
その後、制作に取り掛かられた先生から「昔のはかりの写真を見ておきたい」「実際に使われている現場の様子を知りたい」「はかりの歴史とその形の変遷を学びたい」といったご依頼が寄せられました。「深く理解して作品にする」という言葉どおりの先生の熱心な姿勢を目の当たりにし、心から感激しました。
それからしばらくして、先生からデザイン画をご提示いただきました。そこには弊社が依頼した記念ビジュアルのほかに、はかりやこびと、動物たちがたくさん描かれた別の作品もあったのです。
まず、記念ビジュアルの制作意図について伺うと「正しくはかる」という観点に、昔ながらの「はかる」イメージとしてメジャーに模したパーツを描き、「円」や「四角」は、はかる対象や正確性を表現。そこに台はかりと地球(地面)を合わせることで、大きな世界観として構成してくださったとのこと。私たちがこれまで歩んできた100年の歴史と想いが詰まった、まさに記念ビジュアルにふさわしいデザイン画に仕上がっていました。さらに、当初はイラスト制作だけの依頼だったにも関わらず、先生自ら「影絵で制作したい」との意向を伝えてくださり、とても嬉しく思いました。
次に、もう一つの作品についてお話を伺うと、記念ビジュアルの制作をきっかけに着想が膨らみ、先生ご自身の100歳も記念して作られた数年ぶりの大作とのこと。完成後は「美しい地球100才
生きるよろこび未来へ 2023」とタイトルがつけられ、那須の美術館で展示されているのを拝見することができました。
私たちの期待をはるかに超えていった作品の完成度、そして先生ご自身の活力に直接ふれることができ、藤城先生に依頼するほかないと感じたことは正しかったと全員が喜んでいます。先生の作品のパワーに後押しいただきながら、今後のはかり事業もさらなる発展を目指したいと気持ちを新たにしました。
1890~1920年代
度量衡法改正と近代産業
明治時代になり、西洋文明を急ピッチで取り入れた日本は諸制度も改革していく中で、長さ・面積の単位を尺貫法からメートル法へ統一すべく、1921年に度量衡法を改正します。これにより、工業製品の規格が統一され、産業の合理化が押し進められました。
1890年
クボタは「大出鋳物」として独立開業し、高い鋳物技術で各種はかりの分銅や部材の鋳造を始め高い評価を得ていました。クボタは創業当時からはかりに携わっていたのです。
1924年
1921年の度量衡法の改正により、新しい重量単位の「台はかり」の需要増大が見込まれました。そこで、専門の設計技術者と職人を招いて試作を重ね、ついに1924 年に衡機制作免許を取得し本工場で生産を開始しました。ここにはかりメーカーとしての第一歩を踏み出したのです。
1930年代
生産工程の合理化で、「はかり」の重要性が高まる
鉄工をはじめ電力・ガス・セメントなどの産業は活況を呈します。各企業は生産工程の標準化・省力化を加味した合理化設備を導入し、計量士を配置する事業所が増えるなど、「はかり」に対する認識が高まります。
1960~1970年代
設備の電子化時代到来
高度経済成長を背景にした労働力不足により、各産業の自動化・省力化設備のニーズはますます高まります。一方、電子・計測技術の急速な進歩により、産業界にも電子化の波が到来し、より高機能・高精度・高品質な計測・計量が求められるようになりました。
1970~1980年代
石油ショックにより、経済は安定・成熟期に移行
高度経済成長を続ける日本を襲った石油ショックは、経済を安定成熟期へ導きました。重厚長大産業の生産設備への投資は減退し、日本経済の情勢は一変。市場の縮小により、産業界は新たな道を模索し始めます。その突破口となったのが電子化技術です。
1990~2010年代
環境技術やデジタル化で社会のニーズに応える
1990年代以降も省エネやリサイクルといった環境問題、労働環境改善などの課題に応える製品を次々に世に送り出し、2000年代以降のデジタルロードセルを搭載したはかりで、産業のIT化、デジタル化に対応してきました。
2020年以降
グローバル展開とDXで次の時代へ
IoTやAIといったデジタル技術の普及により、製造業の継続的発展にはDXが欠かせない時代に突入しました。産業用イーサネットや無線通信に対応したはかりなどを通じてDX時代のものづくりを支え続けています。また、M&Aにより定流量供給装置(フィーダ)の分野で、欧州や北米で高い市場シェアを誇るドイツのメーカーを傘下に納め、海外ネットワークの拡充と、製品ポートフォリオがさらに充実しました。これからも計量・計測技術を活かしてグローバルな社会課題の解決に挑戦を続けます。
藤城先生の作品にはたくさんのこびとが登場します。はかり事業100周年の記念ビジュアルもそうした作品の一つになりました。対談を通じて先生の制作にかける想いを伺えたことで、徹底的な下準備のもとに理論的な構図を考え、そこに先生の感性と閃きが加わって生み出された作品であることが分かります。
先生ご自身が「大事なものである」「面白い」「美しい」と感じたものをそのままたくさんの人に知ってもらいたいという強い想いがあるからこそ、藤城先生の作品からは「生きるよろこび」を感じることができるのだと思います。
全編(27分19秒)
1.対談企画趣旨と藤城先生への謝辞/クボタとはかり事業(4分20秒)
2.藤城清治さんの生い立ち(6分41秒)
3.作品について(14分14秒)
4.クロージング(2分2秒)
北尾
クボタはこれまで「食料・水・環境」の分野において、事業を通じた社会課題の解決に広く貢献してきました。現在も世界全体が地球温暖化、気候変動、食糧問題、水不足といった課題に直面していている中で、いま改めてクボタには何ができるのか、ということを考えていかなければならないと思っています。
吹原
クボタのはかりに関しては、「食料・水・環境」の分野における様々な産業、例えば農業、漁業、そして水処理や廃棄物処理などの分野でもお役に立っています。私たちのこだわりは、当たり前のようですが「正確にはかる」ということです。はかりで正確にはかることができなければ、世の中のいろいろな秩序や安定が崩れています。正確にはかることができる「はかり」をお届けし、正しく使っていただくことはとても重要なことだと実感しています。
北尾
創業者の久保田権四郎翁は「国の発展に役立つ商品は、全知全霊を込めて作り出さねば生まれない」、「技術的に優れているだけでなく、社会の皆様に役立つものでなければならない」という言葉を遺していますが、本日、藤城先生のお話を伺ってその言葉を思い出しました。
100年の歴史の中で、この「はかり」は本当に正しいもので必要なものだ、という想いを込めて絵にされたことをお聞きし、久保田権四郎翁の言葉を、先生の口を介して直接聞いたように感じました。
吹原
私たちが取り扱う「はかり」には、計量法があり、その第一条には「適正な計量を維持することが、社会基盤を形成し、経済の発展、文化の向上に寄与するもの」と記されています。そのくらい「はかり」は重要なものだと信じて、私たちはずっと作り続けています。
これまでも「はかり」は、時代の流れに沿って求められる役割も徐々に変わってきました。例えば、戦後は高度経済成長で鉄鋼業やセメント業などの重厚長大産業の発展に。オイルショック後は自動車や化学、エネルギー産業の発展に、といった具合に私たちの「はかり」が使われてきました。
そして、現在は情報化社会の中で自動化やIoT、省人化などの課題に取り組み、今後はそこから生じる生産性向上や品質向上いった課題にも向き合い、お役に立てるよう励み続けます。